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2003年09月19日

日本人よ!パスタと蕎麦は同じではない。

食事時のマナーというものは国によって様々である。ある国では由とされることが他の国ではタブーであることも多々ある。日本人が日本食しか食べなかった昔とは違い、現代では様々な国の食事を日本にいながら食する機会がある。これは食のバリエーションも広がるし良いことだと思うが、いくら日本にいるとはいっても最低限その国々のマナーは知っていたいし、守りたいと思う。
いつの頃からかパスタの主導権は喫茶店からイタリア料理店に移った。というか戻ったと言うべきか。それに伴って食する道具もフォークからフォークとスプーンを併用するようになってきている。果たして、本場イタリアでもそうなのだろうか?私がイタリアに行った時にはあまり見かけなかったように思う。フォーク一本でパスタを引き上げ、くるくるっと器用に巻き、一口で口に放り込んで食べていた。では、スプーンはどこで追加されたのだろうか?実際、調べたわけではないので正しいかどうかはわからないが、フランスではほとんどの人がスプーンを使う(と思う。)スプーンを使うほうが、うまく一口サイズにまとめられるからである。食事時のマナーはイタリアよりフランスの方が厳しい。特に音を立てて食べることは最も下品な行為とされている。日本蕎麦のように「ずず〜っ」と吸い込まないで食べるには、一口サイズにまとめて「パクっ」と口の中に放り込む必要がある。背筋を伸ばしてフォークとスプーンを使うその姿もなんとなく上品である。昨今の日本人がスプーンを使うのは、案外この辺からの影響かもしれない。しかし、実際にレストランでは、高級なところでもフォーク一本で、背筋をまげ、顔を皿に近づけた状態で「ずず〜っ」とやる姿をよく見かける。これはちょっといただけない。何も本場イタリアでもあまり使われていない(だろう)スプーンまで使ってお上品に食べろとは言わない。しかし、「ずず〜っ」はないと思う。「日本で麺類はこうして食べるものだ!」とあなたは言うかもしれない。確かに蕎麦やうどんはそうやって食べる。それは咀嚼して味を噛みしめるというよりもその喉ごしを楽しむところからきているからである。また、蕎麦は口に運ぶ際、「ずず〜っ」とやることで空気も一緒に吸い込み、蕎麦独特の香りを強調させ、楽しむという説もある。では、パスタはどうだ?本場でされていないのだから「ずず〜っ」とやる必要は何も無い。また、背筋を伸ばして食事をするというのはフランスやイタリアだけでなく、日本でも正しいマナーである。それを実現させるため日本食はほとんどの場合、左手で器を持って料理そのものを口に近づける。皿のような大きなものでは、茶碗を受けとして口に運ぶ。これは、食物を落とさない、あるいは食物からタレや出汁がこぼれないようにする工夫である。うどんや蕎麦の場合も例外ではない。丼や蕎麦猪口を左手で持ち上げて食する。ヨーロッパでは食器を持ち上げる習慣がないので、当然、パスタの皿は丼のように持ち上げられるものではない。「ずず〜っ」とやるためには距離がありすぎる。おのずと口をに皿に近づける。背筋が曲がる。これでは、高級レストランも屋台のラーメン屋も同じである。
いや、日本国内ならまだ許そう。しかし、外国に行ったら、少しはその国のマナーを意識して恥ずかしくない食べ方をしよう。マナーはすべて世界共通なわけではない。したがって、その国ではその国のマナーを尊重すべきである。日本のマナーを押し付けて良いものでは決してない。あなたがひとたび「ずず〜っ」とやった時点で、あなたの回りには目に見えない壁が築かれることを意識しよう。国によって様々な変化をするマナーだが、ひとつだけ世界共通のマナーがある。それは、回りの人を不快にさせない心配りにほかならない。

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2003年09月15日

日本料理の基本と神髄

先日、金沢の料亭「銭屋」さんに二日続けてお昼を食べに行った。ここは、日本料理に対する私の目を覚ましてくれたお店である。とにかくおいしい。感動する。何度行っても「ほんとに来て良かった」と思える数少ないお店のひとつである。
カウンターを挟んで花板の高木氏との会話も快適な時間を演出してくれる。そんな話の中で板前の仕事で基本中の基本は白いご飯を焚くことであると聞いた。「米」と「水」と「火」だけで作る料理。そこにはどんな高級素材も包丁さばきもない。調味料すら使わないもっともシンプルな一品である。しかし、主食という言葉に象徴されるように、日本人がその一生でもっとも多く口に運ぶ食物である。おのずとその味の差(美味さ)には敏感になる。「水加減」と「火加減」素材の良さも大きいが、結局料理はこの加減がすべてを決定する。塩加減、さじ加減、等々。素人考えかもしれないが、この「加減」というものが多ければ多いほどごまかしがきくような気がする。それがたった二つしかない白飯は、これ以上ないストレートな料理といえるだろう。主食という観点から他国の料理を見てみると、フランス料理はパンになる。おおよそヨーロッパはこれに準ずる。アジア圏は日本と同じように白飯だが、どうもこだわり方は日本のそれほどではないように感じる。アメリカは文化といえるほどの食環境に達していないので除外する。確立されたアメリカ料理といわれるものがないことからもわかるだろう。パンは白飯よりもはるかに調理工程が複雑である。バターや塩など調味料も使用される。また、その形態や食感、味の多様さも特筆すべきものがあるだろう。ちょっとおもしろそうなので日本料理とフランス料理における主食の位置づけを比較してみよう。
まず、フランス料理では、家庭料理もレストランで食べる料理も一貫してパンは常にその食卓にある。あらゆる料理、スープ、サラダからアペリティフ、メインディッシュまですべてにおいてパンは主食としての責任をはたす。日本料理は、家庭料理では常に主食である白飯を食べるが、懐石料理などでは一連の料理が終わった後、最後の締めとして白飯を食することが多い。また、一般的に日本料理では白飯という主食を食べるために様々な料理が供される。「おかず」という言葉はまさに白飯を食べるための料理ということだろう。しかし、フランス料理ではパンを食べるための「おかず」として料理があるのではない。あくまでもメインは料理であってパンではない。食べ方にもその違いはでる。日本では白飯が盛られたお茶碗を常に左手に持ち食事を進めるのにたいして、フランス料理では両手にナイフ、フォークを持ち、メインである料理を食し、パンを食べる時にはそのナイフ、フォークを皿に置かなくてはならない。つまり、日本料理ではお茶碗を支点として放射状に箸を動かし、扇型を形成するように食事を進めるが、フランス料理では常に目の前にあるのは、一品の料理であって、パンは右手側に独立した皿として存在する。さらに、フランス料理では常に目の前にある料理は基本的に一品である。別の料理を一緒に食べることは無い。日本料理でも懐石料理はこれに通じるところがある。懐石では白飯(御飯)は、最後に出される締めでひとつの料理として捉えられている。次々と出される料理はけっして白飯を食べるための「おかず」ではない。私はほとんど酒を飲まないのでなんとも言えないが、料理とともに飲む酒にも違いがある。ここではビールは除外して、日本酒とワインについて。だれもが知っている通り日本酒は日本料理の主食である「米」が原料になっている。ワインはどちらかというとデザートに近い「ぶどう」からできている。その違いからかどうかはわからないが、フランス人にとって料理とパンとワインは切り離せないものである。対して日本では白飯と日本酒を一緒に食することはあまりしない。途中で切り替えるものである。また、日本酒に合う料理は白飯にも合う。そういえば、なぜ、フランスではぶどうから、日本では米から代表的な酒を造ったのだろうか?普段当たり前に思っていることでもこうしてあらためて考えると非常に興味深い。
最近は和食離れ、米離れが進んでいると聞くが、美味しい白飯を食べられる機会が少なくなったのもその原因のひとつだろう。毎回「銭屋」さんではそういうことをつくづく考えさせられる。ほんとうに美味しい料理には、人を哲学的にさせる力があるように思う。とかなんとかいって、食べてる最中にはそんなことこれっぽっちも考えていません。ただ「旨い」それだけがこの箸を運ぶ原動力になっている。ほかには何も考えられない「至福」のひととき。次回は「蟹」を食べに行くぞぉ!

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2003年09月01日

忙しさは頭の回転を加速する。

私は、ここでお見せしているような絵描き活動をしているが、本職はグラフィックデザイナーである。そちらに関してはexprime inc.のwebをご覧いただきたい。ここのところ、世の中夏休みも終わり本職の方が少し忙しくなってきている。こういう時はだいたい、いくつかの仕事を平行してやっている。今のところ5、6本だ。進め方はというと相手があるものなので、こちらのペースだけでは進められないが、頭を切り替えながらあっちをやったりこっちをやったりと実に取り留めない。脳内の神経細胞はシナプスという部位で網の目のように接続されているらしいが、まさにその編み目を思考が行ったり来たりする感じがわかる(ような気がする。)こういう時の頭の回転は実に柔軟ですさまじく速い。ひとつのアイデアを考えているはずが、全く別のアイデアが突然浮かんできたりする。思考はそこからさらに広がり次から次へと溢れてきて、動かす手が間に合わない。ひとつの仕事だけをしている時にはこうはいかない。なぜかどんどん煮詰まっていく。面白いものでこういう時は絵のアイデアも次々と浮かんできたりする。頭の中はアイデアでいっぱいなのにそれを実体化させる時間があまりにも少ない。物理的に1日は24時間しかないからだ。手作業が全く追いついていかない。よく、仕事が暇な時には、作品をたくさん描きためられると思われがちだが、私の場合まったく逆である。忙しい時ほど作品作りも進むのだ。ただ、さっきも言ったように人間の手は物理的に2本なので無限に拡がる思考にはまるで追いついていかない。文字通り「猫の手も借りたい」状況に陥るわけである。逆に暇な時は思考力も低下する。回転も鈍く、アイデアもなかなか浮かんでこない。つまり、「ぼぅ〜」とするのである。これでは、いくらがんばっても作品はできない。まったく不思議なものである。ということは、仕事を休んで創作活動に没頭するというのは、私にとって「ぼぅ〜」とすることになってしまうのだろうか?(シャレかいな!)

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